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[宜蘭]第二次世界大戦の神風特攻隊in員山機堡

員山機

ニーハオ!
Taipeijinです。

台湾の東部、宜蘭は温泉があったり、お水も空気もおいしい環境の良いところです。

日本統治時代の昔から少なからず日本人も居住していました。

日本統治時代の建築物も林業、漁港などに色濃く残っています。

今回は宜蘭の員山エリアに残っている員山機堡についてご紹介したいと思います。

日本語で書かれているものはまだあまりないようです。

個人的には残しておきたいと思います。

員山機堡員山機堡

Contents

第二次世界大戦と員山機堡

日本統治時代には、台湾人は強制的に日本人にされ、日本名を付けられました。
日本国民にならされました。

そういう訳で第二次世界大戦の時には、日本の為にたくさんの台湾人の方も犠牲になりました。
とっても迷惑な話だと思いますが。

台湾にも神風特攻隊の飛行機の基地がありました。
台中、台南、新竹、宜蘭の四個所です。

宜蘭の員山というところには員山機堡と言う第二次世界大戦の時の飛行機の格納庫があります。

半円の建築物で隠されているような格納庫は掩体壕(えんたいごう)と言うそうです。

員山機堡は戦後長い年月が経ち、荒れ果てて浮浪者が住みついた時期もありましたが、2011年から改修工事を終えて、一般に記念館として開放されました。

竹や木で作られた零戦のオブジェがあります。

木で作られた戦闘機の模型木で作られた戦闘機の模型

機堡とは飛行の格納庫のことです。第二次世界大戦の時の戦闘機の格納庫です。

日本統治時代の空軍の施設でした。

実際の飛行場は四キロ先の南機場です。

南機場迄、燃料節約の為に10数人の台湾人達が手で飛行機を押して行ったそうです。
当時は靴も足りなかったので裸足で。
暑い日は重労働だと思います。お気の毒でした。

員山機堡は上空や、平地から目立たないような設計になっています。
丘のようなところを横から掘ってある構造になっています。

員山機堡員山機堡

この飛行場を作る時に、台北や宜蘭の学生さん8000人が動員されて作ったそうです。

戦争末期には鉄鋼が不足して、竹製の特攻機を作っていた。と、何かで読んだことがありますが、この模型のような感じだったのでしょうか。

神風特攻隊戦闘機と書いてあります。

格納庫の反対側に建物があります。

員山機堡の観光センター

員山観光センター員山観光センター

観光センターとカフェがあります。
トンネルのように細長い設計の記念館もありました。

記念館の壁には過去の第二次世界大戦の写真が展示されています。

員山には三つの機堡がありましたが、現存しているのは員山機堡だけです。
他に員山エリアには南機堡,進士機堡の戦闘機の格納庫がありました。

日本統治時代に宜蘭には三つの飛行場がありました。北機場、南機場、西機場。
ここから太平洋の沖縄沖のアメリカ軍艦隊に特攻隊員が飛び立って行きました。

北機場では民間機も飛んでいました。

昔の管制塔の写真や航空母艦が攻撃に遭い、炎上している特攻機の写真など、見るに耐えない写真もありました。

映画ではなくて、実際にあったことなので悲惨な感じを受けました。

日本人として戦った台湾神風特攻隊の部隊は30部隊。出撃戦死者245名。

員山機堡外側の回廊

員山機堡の廻廊員山機堡の廻廊

員山機堡の外回りには空に昇るような天空の回廊がありました。

員山機堡の東側には太平洋があります。
宜蘭の海、亀山島から沖縄の方向に向かって、零戦は飛んで行きました。
アメリカ軍の空母を爆撃する為です。
片道だけの燃料を積んで。

員山機堡の周りは回廊風の設計になっています。

下の立ち入り禁止のところを管理人の方が開けてくださいました。

員山機堡の廻廊員山機堡の廻廊

黒い零戦の周りの文字の意味は

この道を一度行けば帰らない。
お国の為に身を捧げ帰らない。
ただ遠くから振り返って眺めるだけ。

この回廊は途中までで、終わっています。

片道だけで、戻って来ない。という意味だそうです。

兵隊さんのオブジェは海側ではなく、故郷の陸側を向いています。

兵隊さんのオブジェ兵隊さんのオブジェ

陸側に思いを残しながら若い青年達は特攻機に片道だけの燃料を積んで飛び立って行きました。

併設のカフェもあり、柚子茶をいただきました。

管理人の方が作ってくれました。

あまり人がいなかったので、お話を色々聞くことができました。

員山機堡記念館の展示物

トンネルのような記念館の中の展示物がありました。

実は戦時中は宜蘭でもアメリカ軍の上陸戦に備えて、地下道や防空壕などの設備を備えていました。宜蘭の地下には防空壕が張り巡らされていたそうです。

でもアメリカ軍は宜蘭には上陸せず沖縄に上陸したので、これらの防空壕の設備は使われなかったそうです。

零戦出撃の前夜は員山温泉で最期の夜を過ごしました。

当時は22歳から25歳位の青年が特攻兵でしたが、戦局が押し詰まって来て人材が少なくなると、15歳や17歳でも出撃したそうです。

日本人の母親達は日の丸が書かれた零戦を赤トンボに例えて、兵士を白い蝶に例え、

赤トンボに乗って行ったら、白い蝶になって戻って来てね。

と、送り出したそうです。

零戦は員山機堡の周りを二、三度旋回して、太平洋に向かって消えて行ったそうです。

員山機堡まとめ

宜蘭の員山エリアにはお水の良さを利用して、世界的に有名なカバランのウィスキー工場や蘭園、お任せ料理のお店など、現在では観光地として人気のエリアです。

現在でも宜蘭だけではなく、台湾の各地に第二次世界大戦のいろんな施設が残っています。
例えば、北投温泉もそうですね。

員山機堡はガイドブックに載っていませんが、とても深く学べるのでぜひご紹介をしたいと思いました。

戦歿者の皆様が安らかに眠れますように。

員山機堡はそのうち取り壊されるというニュースを以前見ましたが、できれば残して欲しいと思います。

員山機堡の住所
宜蘭縣員山鄉金山東路398號
営業時間:10:00-17:00(午休12:00-13:00)


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taipeijin
台湾人と国際結婚して台北市在住。台湾での生活で日々チャレンジしたことをテーマにしています。台湾を車で爆走中!